全羅道光陽縣玉谷面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收稅冊(奎18288의 22),
明禮宮(朝鮮)編.
1冊(6張) 筆寫本 41×37.6cm.
明禮宮
咸豊十一年辛酉八月日所屬全羅道光陽縣玉谷
面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收税冊
節目
爲完文成給事本縣太仁島卽訓局所管折受
之地也同島前洋所産海衣收税自訓局從民願酌
量已成節目而今屬本宮爲有在果本縣海倉浦業
之廢閣厥惟久矣事當復設舊址而以其淺灘舟楫
莫通勢不可擬議是矣境内津下面船所鎭處在
嶺湖要衝濱海而商舶無不關由沿陸而旅行足可
來集其形便之周宜正是開市設浦之地而不煩不
撓自成自就是如乎顧民計而可樂業在宮房而
當收税則以公以私允合兩便乙仍于具由
啓禀蒙 允後踏
啓字教是置海衣及浦市收税等節臚列于後
玆成完文依此永久遵行者
辛酉八月 日
明禮宮
後
一太仁島河東古池錢壹百玖拾五兩
墻内錢貳百兩
渡村錢柒拾兩
玉谷面金湖錢壹百玖拾五兩
廣浦錢壹百柒拾五兩
衣巖錢貳拾兩
新津錢貳拾五兩
莊洞
臨川
錢參拾五兩
山腰
新基
大里
沙基
柏巖
墨方
三尊
錢拾兩
錦村
栗洞
錢貳拾兩
津上面内外錦村
梨川
錢肆拾兩
立巖
木果
桃源
青龍
旨郎
元堂
倉村
驛村
龍溪
新川
坪村
炭峙
飛村
於峙
竹林
熊洞
錢柒拾兩
骨若面臥牛
馬屹
細洞
杏亭
五柳
寺洞
中洞
不老
軍藏
錢五拾兩
津下面仙浦
項洞
眞亭
錢參拾兩
莊峙
望德
九龍
堰頭
馬浦
農所
狸島
德峙
畓洞
車洞
錢陸拾五兩
已上錢壹千貳百兩
一税錢收納之限毎年以三月晦内定式毋或違
越者
一海衣之業亦有豊歉與稼穡無異或値歉荒之
歳可有叅互之道税錢自本官摘奸後徃復酌
減事
一税錢壹千貳百兩内一千兩輸納是遣二百兩段元納
一千兩駄價及收刷任掌紙筆墨等用下事
一税錢折半段毎年十二月初十日發令同月三十五日
至畢捧折半段翌春二月十五日發令同月晦日至
準刷待三月日輸納事
一及其税錢收刷也如無別飭則難保無任掌稽
滯之慮若違限不納徴罰錢二兩事
一各浦市之有物主自是通規同物主以附近面饒
民中自願者限五六人自本邑成差紙擧行事
一塲市各廛檢察任掌段自本邑差出擧行而
軍保烟役依例勿侵事
一船税段從商船來泊數爻分其大中小磨鍊
收税事
一塲市各廛隨其物件賣買分等收税事
一税錢自十月三月至自四月九月至分兩等收納而
冬春六朔倍簁於夏秋六朔計其多少酌定事
一税錢段假量以一千兩爲定而此非恒式待竣事
成實更爲分多少定加減磨鍊事
一統一年收税爲幾許内物主雜費從所入計
除後上納錢定數輸納事
一税錢駄價勿論於原納中事
一收刷時與上納時不可無都次知任掌自本邑
以勤幹將吏差出監色擧行事
一牟利奸細輩敢欲紛競如有挽船沮戲之弊
這這指姓名馳報以爲嚴勘事
一未盡條件追後磨鍊事
啓
(明禮宮印 二一個處)
原文URL
[(以前の)解説]
1861년(哲宗 12) 明禮宮에서 全羅道 光陽縣 玉谷面에 있는 太仁島의 海衣(海苔)와
津下面 船所鎭의 浦市收稅 등에 대하여 마련한 節目이다. 내용은 前文·後·節目의 세
부분으로 나누어져 있다. 前文 내용은 "光陽縣 太仁島는 訓鍊都監에서 折受하여 그 所
管이지만, 同島前洋 소산의 海衣收稅는 訓鍊都監이 民願에 따라 酌量하여 節目을 만들
었는데, 지금부터 本宮에 속하게 한다. 또 本縣 津下面에 船所鎭處는 嶺湖의 要衝濱海
에 있어 商船이 많이 모이니, 그 형편을 살펴서 開市設浦하고, 이에 海衣와 浦市收稅
등을 後에 기록한다"는 것이다. 「後」에는 各地名과 海衣收稅額이 錢으로 기록되어
있는데 그 총합은 1,200兩이다. 節目은 海衣收稅와 浦市收稅에 대한 것으로 다음과 같
은 것이 기록되어 있다. 稅錢은 每年 3月 그믐(晦) 내에 상납하며 期限을 어기지 말
것, 海衣之業도 豊?겸이 있어 ?겸荒의 해에는 참작하는 것이 마땅하니 稅錢은 本宮에
서 摘奸한 후에 往復酌減할 것, 稅錢 1,200兩 중에 1,000兩은 輸納하고 200兩은 元納
1,000兩의 馱價와 收刷任掌의 紙墨價로 쓸 것, 稅錢과 折半은 매년 12월 초 10일에 發
令하여 同月 5일까지 畢捧하며, 折半은 다음해 봄 2월 15일에 發令하여 同月 그믐까지
準刷하여 3月에 輸納할 것, 各浦市에 物主가 있는 것은 通規이니 同物主는 부근面 饒
民중에서 自願者 5∼6人에 한하고 本邑에서 差紙를 만들어서 거행할것, 場市各廛의 檢
察任掌은 本邑에서 差出하여 거행하고 軍保烟役은 침탈하지 말 것, 船稅는 商船 來泊
數爻에 따라서 大·中·小로 나누어 收稅할것, 場市各廛는 物件買賣에 따라서 分等하
여 收稅할 것, 稅錢은 10월에서 3월까지 4월에서 9월까지 兩分하여 收納하되 冬春 6朔
(10월∼3월)은 夏秋 6朔(4月∼9月)의 倍?사로 하고 多少를 헤아려 참작하여 정할 것,
총 1年收稅중에서 物主雜費를 쓴 만큼 除한 후에 上納錢을 定數하여 輸納할 것, 稅錢
馱價는 願納중에서 勿論할 것, 收刷時와 上納時는 都次知任掌이 있어야 하니 本邑에서
勤幹將吏를 監色으로 差出하여 시행할것, 牟利奸細輩가 紛競을 일으키거나 挽船沮戱의
폐단이 있으면 일일이 姓名을 적어 보고하여 嚴飭할 것 등이다.
1861年(哲宗12)明礼宮で全羅道光陽県玉谷面にある太仁島の海衣(海苔)と津下面船所鎮の浦市収税などに対し用意した節目だ。 内容は前文・後・節目の三部分で分けている。
前文内容は"光陽県太仁島は訓錬都監で折受して,その所管だが,同島前洋所産の海衣収税は訓錬都監が民願により酌量して節目を作るオンヌンデ,今から本宮に属するようにする。また本県津下面に船所鎮処は嶺湖の要衝濱海にあって商船がたくさん集まると,その状態を見回して開市設浦と,これに海衣と浦市収税などを後に記録する"ということだ。
「後」には各地名と海衣収税額が銭で記録されているのでその総合は1,200両だ。
節目は海衣収税と浦市収税に対することが次のようなのが記録されている。
- 税銭は毎年3月大晦日(晦)内に上納しながら期限を破らないこと,
- 海衣之業も豊?抑えがたさがあって?兼荒の年には参酌することが当然だから税銭は本宮にソ摘奸した後に往復酌減すること,
- 税銭1,200両中に1,000両は輸納と200両は元納1,000両の駄価と収刷任掌の紙墨価で使うこと,
- 税銭と折半は毎年12月初め10日に発令して同月5日まで畢捧し,折半は次の年の春2月15日に発令して同月大晦日まで準刷して,3月に輸納すること,
- 各浦市に物主があるのは通規であるから同物主は付近面饒民中で自願者5〜6人に限って本邑で差紙を作って,挙行すること,
- 場市各廛の検察任掌は本邑で差出して,挙行して軍保烟役は侵奪しないこと,
- 船税は商船 来泊数爻にしたがって大・中・小で分けて収税すること,
- 場市各廛は物件買売にしたがって分等ハ女収税すること,
- 税銭は10月で3月まで4月で9月まで両分して収納するものの冬春6朔(10月〜3月)は夏秋6朔(4月〜9月)の倍?四にして多少を推し量って,参酌して決めること,
- 総1年収税中で物主雑費を使っただけ除した後に上納銭を定数して輸納すること,
- 税銭駄価は願納中で勿論すること,
- 収刷時と上納時は都次知任掌がなければならないから本邑で勤幹将吏を監色で差出して,施行すること,
- 牟利奸細輩が紛競を起こしたり挽船沮戯の弊害があればいちいち姓名を書いたりして厳飭することなどだ。
http://kyujanggak.snu.ac.kr/BA/SGP-077-009135.htm
[参考]
全羅道蝟島古群山漁稅錢舊未收蕩減成冊(奎17072,奎16727),
全羅監營(朝鮮)編.
各 1冊(3張) 筆寫本 38.5×24.3cm.
"1854년(哲宗 5)에 全羅監營에서 道內蝟島 古群山 漁場의 辛亥年(1851)-癸丑年(1853)條 漁稅錢末收錢을 蕩減한 것을 기록하여 備邊司에 올린 것이다. 蝟島는 辛亥春等末收錢·癸丑春等末收錢 등 3년간의 5,991兩 7錢 5分이 탕감되고 있으며, 古群山은 癸丑春末收錢 1,625兩 9錢 5分이 탕감되고 있다. ≪全羅道蝟島古群山漁稅錢甲寅爲始定成冊≫<奎 No. 16727>은 1854년(哲宗 5)에 全羅監營에서 蝟島와 古群山에 있어서 當年(甲寅)부터 始定된 漁稅錢을 기록한 것이다. 이 책은 같은 년월에 같은 지역에 있어서 甲寅年까지 末收된 漁稅錢을 탕감한 것을 기록한 <奎 No. 17072>本과 비교된다. 구체적인 내용은 蝟島와 古群山 두 지역으로 나누어서, 甲寅(1854)春秋等漁稅摠額·癸丑(1853)冬陳頉 또는 甲寅(1854)査陳減·在錢額·在錢額의 各項目別額數 등이 기록되어 있다. 在錢額은 船稅錢·海衣稅錢·漁綱稅錢·注泊稅錢 등의 項目으로 구분되어 있다.
"1854 年(哲宗5)に全羅監営で道内蝟島古群山漁場の辛亥年(1851)-癸丑年(1853)條漁税銭末収銭を蕩減したのを記録して備辺司に上げたのだ。蝟島は辛亥春等末収銭・癸丑春等末収銭など3年間の5,991両7銭5分が減少されており,古群山は癸丑春末収銭1,625両9銭5分が減少されている。 ≪全羅道蝟島古群山漁税銭甲寅為始定成冊≫<奎No. 16727>は1854年(哲宗5)に全羅監営で蝟島と古群山において当年(甲寅)から始定なった漁税銭を記録したのだ。この本は同じ年月に同じ地域において甲寅年まで末収なった漁税銭を減少したのを記録した<奎No. 17072>本と比較される。具体的な内容は蝟島と古群山二つの地域で分けて,甲寅(1854)春秋等漁税摠額・癸丑(1853)冬陳.. または甲寅(1854)査陳減・在銭額・在銭額の各項目別額数などが記録されている。在銭額は船税銭・海衣税銭・漁綱税銭・注泊税銭などの項目に区分されている。
奎17072:http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/MOK/CONVIEW.jsp?
type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&mclass=&sclass=&ntype=hj&cn=GK17072_00
奎16727:http://e-kyujanggak.snu.ac.kr/MOK/CONVIEW.jsp?
type=HEJ&ptype=list&subtype=jg&lclass=10&mclass=&sclass=&ntype=hj&cn=GK16727_00
numlk01@資料整理中 ver.2008.03.31
* 税の側面からのアプローチが割と有効かもしれない。
numlk01|03-30 05:04
takejima|03-30 06:08
「ワカメ」って、日本だと漢字で、「若布、和布、稚海藻、裙帯菜」かなw。鮮朝半島では、どのような漢字で表すんだろうw?鮮朝料理には、海苔よりはワカメを利用する事が多い感じがするけど、実際はどうなのかなw?
→ numlk01|03-30 06:20
"藿(かく):わかめ"です。 http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796
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