2009年1月6日火曜日

朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯

朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯
pp.318-321 あまのり 海苔 김 海衣

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pp.334-337 第二章 水産物養殖

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引用元:http://kindai.ndl.go.jp/
全国書誌番号:40034161
請求記号:YDM42492


numlk01@整理中 ver.2008.03.31

 

p9cm|03-31 20:33

まだ見えてないけど、お茶と同じく総督府が(略 ですか?

numlk01|03-31 20:35

単に、韓国で挙げられている典拠の原文を掲載しただけです。ただし、総督府が実施した、この古老への聞き取り調査が、論拠の一つだったりします。

fmdoll89|03-31 22:36

従来本邦人に依って営まる養殖業として見るへきは唯海苔養殖の一のみ、其他牡蠣伏老の養殖を営むものなきにあらさるも規模小にして一の??(わからない漢字)として見るに過きさるなり、海苔養殖は南沿岸に於て二三の場所に営まるるも其最盛地は光陽?内?津口附近にして麁朶を挿植するもの敷里に亘り其盛況日本の東京湾の比にあらす、而も其色澤香味共に優等なる東京湾産の紫菜に較へて遜色を見さるのみさらす寧ろ優れるものなきにあらさるも製法麁悪乱雑にして品質を損するを憾みとす。

fmdoll89|03-31 22:38

素材は良かったけど製法が悪かったんで品質を悪くしてましたよってことですかね。あと日本人が養殖を願い出て免許していますね。

numlk01|03-31 22:44

最後の画像で適地なども挙げられているので、古い文献と照合させる作業も必要になってきます。とまれ、注目すべきはここで、ハングルの”김”の表記がある点ですね。

numlk01|03-31 22:49

丁若鏞の時代には、”朕(注:짐と表記されると推定される)chim”だったのですが、この段階で”김kim”になってます。

xiaoke|03-31 23:04

numlk01 03-31 22:49>朕(注:짐と表記されると推定される)chim>推定のとおり、朕のハングル表記は짐です。

numlk01|03-31 22:54

つまり、俗名がchimからkimへと変化したのが、19世紀半ばから20世紀初頭までの間であるわけなので、17世紀の”金”氏による養殖起源説は眉唾ものです。ただし、丁若鏞が聞き間違えたとの可能性は捨てきれませんがw。それはそれで、韓国人涙目なんですけどね。

xiaoke|03-31 23:03

ゆえに金汝翼が養殖の起源説は後世の語彙から遡及した後付けの「伝説」と解釈されざるを得ず、かといって丁若鏞の錯誤であるとすれば、丁の記述を根拠にすえている現在の韓国人の説は妥当性にヒビが入ると。あちらを立てればこちらが立たず…

numlk01|03-31 23:09

さすが。当たりです。で、もう一つは東國歳時記の”海衣裏”です。これが当時(19世紀)の習慣ならば、明らかに日本の”のり巻き寿司”よりも後に成立です。そこで、歳時風俗だということで、遡ろうとしても、海衣の初出よりも遡れません(というか、最初は文字通り”海の衣”だったわけで)。そして、17世紀あたりだと、海衣は甘苔とは別個ですから、海衣裏に使った海藻はアマノリではないことになってしまいます。そうすると、結局、日本より古い可能性は殆どなくなってしまいます。

numlk01|04-20 15:23

訂正:海衣”裏”×→海衣”裹”○

numlk01|03-31 23:12

で、一応、私の推測ですが、海衣は褐藻類の”ハバノリ”だったのではないかと考えています。これは干します。

xiaoke|03-31 23:21

俗名がchimからkimへと変化したのが、19世紀半ばから20世紀初頭までの間>「沈菜(チムチェ)」が「キムチ」に変化したのも19世紀前半から中期ごろじゃなかったかなぁ?言語学的にどのような変遷があったのかは未見ですが。

numlk01|03-31 23:29

以前、焼肉との絡みで、その関連の論文を翻訳しかけていたのですが、死ぬ程大変だったので、あっさりと放棄w。というか、ハングル、変化しすぎです。

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