2009年1月6日火曜日

朝鮮王朝實錄における”海苔””甘苔”の記述(国史編纂委員会様へのお手紙を含む)

おはようございます。numlk01です。
ここ暫く海苔について調べていますが、新しい原文が見つからないので、ちょっと足下を固めることにしました。
それは、誰でもアクセスできる朝鮮王朝實錄で、”海苔””甘苔”の記述があるか、という点です。
簡単なので、さくっと調べてみましょう。
まず、「海苔」から。
前提として確認しておきますが、検索する場合、漢字で実施するものとします。

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ほとんどヒットしません。該当記述を調べてみると・・・

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世祖 3卷, 2年(1456 丙子 / 명 경태(景泰) 7年) 3月 26日(乙未) 3번째기사
선군을 사사로이 부린 당진포 만호 전유례 등의 죄를 청하다
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○司憲府啓: “唐津浦萬戶全有禮, 私役船軍煮鹽, 付船軍勒收麪十石、木綿衣四領, 托焉進上, 多收苧及紅藍花等物。 高巒萬戶金商, 以進上海衣貿易爲辭, 徵綿布、苧布、麻布於船軍, 放還本家, 又無故責納紙八十八卷, 以公鹽付船軍, 徵米三石, 留私馬二匹, 委船軍喂養。羣山萬戶金奉元, 私放船軍, 責納紙一百四十六卷, 以公鹽換黃豆三石八斗, 經年喂馬。 本人等以海道偏將, 防禦諸事慢不致意, 侵虐船軍, 橫斂萬端, 監臨官物, 縱意費用, 雖被劾遇赦, 不可不懲。 請將有禮、金商已收告身, 輸于兵曹終身不赦, 奉元幷收告身, 坐贓不敍。” 從之。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kga_10203026_003&grp=&aid=&sid=455701&pos=0

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中宗 19卷, 9年(1514 甲戌 / 명 정덕(正德) 9年) 1月 14日(戊寅) 4번째기사
내농작의 모든 기구를 후원에 배설하다. 승지·감조관 등에게 술을 내리다
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○內農作諸具, 排設於後苑。 左邊自慶會池北邊初階, 抵于北墻小門內, 右邊自忠順堂前階, 抵于翠露堂前, 皆依倣《豳風七月》篇, 而右則象周公進《無逸》之狀, 左則象周公進《七月》篇之狀。 其所書簇子, 以海衣爲紙, 以樺皮■刻爲字。 又象岐山四時山色, 凡奇花異草、蟲、魚、禽、獸、人物, 靡不備具。 上命中使, 宣醞于承旨及監造官等。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kka_10901014_004&grp=&aid=&sid=455705&pos=0

「海衣」じゃん!

もしかして、漢字ではまともに検索できないシステムなのでしょうか?
韓国語に変換した内容で検索しているのですかねえ。
国史編纂委員会様、漢字が違うと意味が違うんです。これだと表記の変化を調べられません。
海衣=海苔という解釈を前提にしているのかもしれませんが、他の文献からも、ずれている事実は読み取れます。
ですから、漢字自体で検索できるシステムにしてもらえませんでしょうか。
そうしないと信頼性に欠けてしまいますよ。
気を取り直して、次に進みます。”甘苔”です。
これは間違いなくアマノリを指すと思われるのですが、何件くらいあるかというと・・・

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たったこれだけです。我が目を疑いました。本当なのか、と。
ちなみに、最初の記述は、既出です。
「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=96796
 * 確かに、これには「甘苔」とありました。確認済みです。
では、残りはというと、こちらになります。

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地理志 / 全羅道 / 羅州牧/ 영암군(靈巖郡)
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◎ 靈岩郡: 本百濟月奈郡, 新羅改靈巖, 高麗成宗十五年丙申, 改朗州、安南都護府。 顯宗九年戊午, 復降爲知靈巖郡事, 本朝因之, 別號朗州。 古屬縣四。 昆湄, 本百濟古彌縣, 新羅改昆湄, 爲靈巖領縣, 高麗因之。 黃原, 本百濟黃述縣, 新羅改黃原, 爲道康領縣, 高麗改爲靈巖任內。 玉山、玉泉。【今報古之冷井部曲。】鄕二, 鎭南、北平。 所四, 冬栢、馬峯、神葛、䰎仁。 部曲四, 八馬、懷義、松旨、深井。 鎭山, 月出。【在郡南, 新羅稱月柰岳, 躋小祀, 高麗初, 稱月生山。】四境, 東北距羅州東十里, 北十八里, 西距海口三十五里, 南距海珍三十里。 戶三百三十三, 口一千二百二十九。 軍丁, 侍衛軍二十五, 營軍二十六, 船軍二百五十九。 土姓六, 崔、朴、周、白、嵆、陸。 昆湄姓五, 許、庾、裵、田、鍾。 黃原姓四, 黃、尹、宋、葛。【宋, 一本作宗。】玉泉姓五, 全、尹、愼、安、朴。【全, 一本作金。】北平姓一, 曺。 松旨姓二, 金、全。 懷義姓一, 全。【一作金】深井姓一, 全。【一作金。】鎭南姓一, 嵆; 亡姓一, 吳。 厥土肥塉相半, 墾田六千五百四結。【水田九分之五。】土宜五穀, 麻、楮、柿、栗、石榴、莞。土貢, 狐狸山水獺皮、鹿角、黃毛、蜂蜜、黃蠟、漆、水魚、全鮑、蔈膏、粉藿、石茸、笋、雀舌茶、芝草、榧子、席。 藥材, 島阿鳥油、人蔘、水泡石。土産, 橘、篠、甘笞。 鹽所三,【鹽倉在郡城內。高麗恭讓王元年己巳, 以海珍白也浦鹽干移屬郡置倉, 因名海南倉, 令郡事掌之。 鹽干三十八名, 春秋貢鹽三百七十名。】磁器所二, 皆在郡西昆湄多岾里。【品中。】陶器所二, 皆在郡西昆湄栗岾。【品下】驛一, 永保。【古有南里驛, 因倭寇敗亡。】牧場二, 露梁、【放雌雄馬幷一百三十九匹】臨緇島。【放雌雄牛二百二十一首】關防, 達梁。【兵船泊立。】要害一, 通音所峴。【自康津北指靈巖。】烽火二處, 葛頭在郡南,【東準康津佐谷, 西準海珍花山。】黃原在郡西。【東南準花山, 北準務安鍮達。】靈異, 郡人諺傳高麗時人崔氏園中, 有一瓜, 長尺餘, 一家頗異之。 崔氏女潛摘食之, 歆然有娠, 彌月生子。 父母責以無人道而生兒, 置之于竹林, 居數七日, 女往視之, 有鳩來覆翼之, 告于父母, 往見異之, 撫養。 及長, 祝髮爲僧, 名道詵。 《周官》《六翼》云: “道詵入唐, 傳得一行禪師地理之法而還, 踏山自白頭山至鵠嶺, 因過世祖宅, 見其新搆處, 乃曰: ‘種穄之地【鄕言穄, 與王音異意同故云。】何種麻耶?' 言訖而去。夫人聞而入告世祖, 倒屣追之, 及見, 如舊相識, 請與同遊, 共登鳩嶺, 究觀山水之脈。 詵上觀天文, 下察時數曰: ‘此地脈, 自壬方白頭山水母木幹來, 落馬頭明堂, 宜從水之大數, 作宇六六爲三十六區, 則符應天地之大數。 若依此訣, 必生聖子, 宜名曰王建。' 因作實封一道, 外封云: ‘謹奉書百拜, 獻于未來統合三韓之主大原君子足下。' 世祖卽從密訣, 造屋居之, 明年, 果誕太祖。” 越境, 康津無爲洞、月南洞、仇隱村、佐谷里、上谷里之地, 合于郡南; 海珍比谷、別珍、北仇末、墨山、狗山、安福、加次良、勿也只之地, 入于郡南; 羅州加佐村、海珍命山村之地, 入于郡北。
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kda_40007002_002&grp=&aid=&sid=455850&pos=1

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世祖 16卷, 5年(1459 己卯 / 명 천순(天順) 3年) 4月 12日(癸亥) 1번째기사
판내시부사 전균에게 명나라 사신에게 선물을 내릴 것을 명하다
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○癸亥/命判內侍府事田畇齎鹿(及)〔皮〕鹿尾、脯、鱐、乾菌、胡桃、鰒魚鮓、銀口魚鮓、海衣、甘苔等物贈明使, 嘉猷不受, 軏受之。 贈頭目脯、鱐、魚鮓等物, 頭目不敢擅受, 令金子安告于嘉猷, 不諾, 良久曰: “可。 只受數物。”
http://sillok.history.go.kr/viewer/viewtype1.jsp?id=kga_10504012_001&grp=&aid=&sid=455853&pos=0

これだけです。「甘苔」ですら、この状況です。
もしかしたら、システムの問題で拾い出せないのかもしれませんが、それにしても少なすぎます。
 * 念のために一言付け加えておきますが、海衣の記述は結構あります。ご注意下さい。
ここでの疑問は、なぜ15世紀には、甘苔と海衣とは別個であったが、後に「甘苔」の記述が消えてしまったのかとうことです。また、「海苔」の記述についても、初出はずっと後だとされていますが、それにしても実録で一度も記述されていないのは何故か。不思議で仕方がないのです。
疑問の解明には時間がかかると思いますが、じっくり調べていこうと思います。


numlk01@早起き ver.2008.03.28

 

yhkdikkyh|03-28 10:36

そうそう金ノフィゴッしなさい. 馬鹿. 人生本当にハルイルオブダ. お前. 長さがどの国のでも食べれば良いでしょう,

kiyomasa02|03-28 14:29

糞でも食ってろ

numlk01|03-28 22:27

( ゚∀゚)o彡゜金瑛勳!金瑛勳!

kobaya4|03-28 22:41

朝鮮王朝實錄の「中宗 19卷, 9年(1514) 1月 14日」中の「以海衣爲紙」は、楮と海藻を混ぜて作る「海藻紙」だろう。日本における「海苔(のり、かいたい)」の表記と読み方の変遷は次の通り。ご参考まで。奈良時代初期の養老(717~724)年間に撰進された『常陸国風土記』には、その中の信太郡(しだのこほり~現在の茨城県稲敷郡)の章に、「海苔」という文字が使われており、それをノリと言っていたことが分かるが、以下にも記載のように一般には、ノリの漢字は「紫菜」を用い、ムラサキノリ(当時は、無良佐木乃里とか、牟良佐支乃里などのルビがある)と読んでいたようだ。(つづく)

kobaya4|03-28 22:42

時代は下って『倭名抄』 (934年頃)は「紫菜、阿末乃里、俗用二甘苔一」、『名義抄(』(11C末から12C頃)は、「紫菜、ムラサキノリ、アマノリ」。鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(1177-81年)は、〔神仙(シンせン)菜 アマノリ。甘苔 同/俗用之。紫菜同。〕また、十巻本『伊呂波字類抄』(12世紀頃の日本最古の辞書)には、〔神仙菜 アマノリ。紫菜 。甘苔同/俗用之。〕とある。さらに鎌倉時代の『吾妻鏡』文治二年(1186)二月十九日の項に「供御甘海苔、自二伊豆國一、到二來于鎌倉一、彼國土産也」とある。 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、〔紫菜(アマノリ) 。〕とある。(つづく)

kobaya4|03-28 22:43

広本『節用集』(1476年頃成立)に、「紫菜(アマノリ/シ・ムラサキ、サイ・ナ)」とある。また、易林本『節用集』(室町時代中期の国語辞書-16世紀)には、〔甘苔(アマノリ) 。神仙菜(アマノリ) 。〕とある。室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、〔甘苔(アマノリ) 。紫菜(同) 醫云。海帯(同)。〕とあって、「甘苔」「紫菜」「海帯」の語を収載する。頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』(天保十四〔1843〕年刊)、『庭訓徃來講釈』(弘化二〔1845〕刊)の注記は、いずれも「甘苔は、本字紫菜(しさい)と書く」と記載する。 http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame91.html (2005/04/22)

numlk01|03-28 23:42

投稿ありがとう。誰か日本の分の原文調査を同じように作ってくれませんかねえw。

oilsand|03-29 05:27

日本の人口が多くてそれはだそれともここに方々が専門家なのでそれはだ... すごいです.

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