2020年1月1日水曜日
朝鮮半島での海苔について調べ始めて早三ヶ月。
きっかけは次のHPやスレでした。
♯ 9年経ちましたがようやくほぼ網羅できました(2016・12・23付)
鍾路のり巻き
* 全てのコピー元になるページ。ここから始まった。
長さに対して
* 8inni8の最初のスレ。鍾路のり巻きのページを元にしているが、根拠を追加してある。
で、一つ一つ文献を検証していくという方針で進めて参りましたが、
遺漏を防ぐために、ここでチェックリストを作成しておきます。
[海苔]
三國遺事 第一卷 1 紀異 延烏郎 細烏女
* 「藻」です。
『酉陽雑俎』段成式[撰]--->旁説話=金錐説話(パンソリ自体は朝鮮後期の作)
未調査
牧隱詩藁 卷之三十一 詩
* 「海衣」の初出。
『慶尙道地理志』における「海衣」(1/2)
『慶尙道地理志』における「海衣」(2/2)【参考:「海菜」の記述】
* 「海衣」の初出とされている文献。地方の特産品として。海苔食、海苔養殖の記事なし。
「海衣」の記述 [世宗莊憲大王實錄十四冊 卷第四十五]
新增東國輿地勝覽 第40卷 光陽縣
* 「海衣」と「甘苔」とは別の産品として記録されている。
本草綱目 第16冊 第19巻 草部八 (草之八 水草類二十二種)
* 「海藻」の部分に「新羅國」についての記述がある。
許筠『屠門大嚼』 蔬菜之類
* 「海衣」と「甘苔」は別個の食べ物とされている。また、その特徴から、アマノリに相当するのは「甘苔」である。
その結果、この時代の「海衣」は、海苔とは別個の海藻だということになる。
『東醫寶鑑』における「甘苔」他の記述
* 「海衣」の記述がなく、「甘苔」の記述がある。
ただし、「海菜」の部分に、本草の記述の引用として「紫菜」の説明がある。
潛谷先生遺稿卷之六 請順湖南民情。速爲變通箚。 戊戌七月初十日
* 「海衣」と「海苔」が別の物として記されている。
星湖先生僿說卷之五 萬物門 綸組
* 「作片如紙」の記述
[機械翻訳] 光陽海苔始殖址指定番号:全羅南道記念物第113号
光陽の朝鮮時代6 -事実を知り是非の判断の先駆者,金汝翼海苔養殖に成功する
* 「始殖海衣」の記述。現在墓標は残っていない。
莞島郡伝承
未調査
『物名攷』
* 「海衣 採海中石衣 作薄片如紙」の記述があるとされる。
しかし、海衣自体がない。紫菜。
丁若鏞 『經世遺表』 第14冊 均役事目追議 第1 藿税
* 「海苔」の初出とされていたが、より古い記述がある。現在の分類に直接関連している?
『萬機要覽』 財用編三 海稅
全羅道光陽縣玉谷面太仁島海衣及津下面船所鎭浦市收稅冊
朝鮮総督府農商工部編纂『韓國水産誌』[第1冊]第1輯
* 古老への聞き取り調査。
鄭文基「朝鮮海苔」(『朝鮮之水産』第百四十四號別刷)
未調査
* 上述の伝承などに関連する文献。
鄭文基 朴九秉 朴丞源 金仁培 저 「韓國近世科學技術 100年史 調査硏究 」
[のり巻き]
「海衣裹」の記述
* 『京都雜志』『洌陽歲時記』『東國歳時記』の調査。海衣で飯を包んだ料理は、『洌陽歲時記』以降。
また、『京都雜志』と『東國歳時記』との比較により、 「海衣裹」は、19世紀に入ってからの風俗だということが判明する。
[その他]
卷228_66 《春日江村五首》杜甫
「扶病垂朱紱,歸休步紫苔。」
* 「紫苔」の記述。
靑苔錢にいう”靑苔”について調べてみた
* 「青苔」について調べた。韓国では現在、甘海苔と同じ言葉と説明されているが、中国語では「苔(moss)」でした。
朝鮮王朝實錄における”海苔””甘苔”の記述(国史編纂委員会様へのお手紙を含む)
朝鮮王朝實錄における”海衣”の記述(附、”海帯”の記述)
大和本草巻之八 草之四 瓜類、蔓艸、芳草類、水草類、海草類
numlk01@作成中 ver.2016.12.23
2017年1月21日土曜日
牧隱詩藁 卷之三十一 詩
軟炊盈椀白。新擷滿盤靑。和合午牕下。齒牙微有馨
http://db.itkc.or.kr/index.jsp?bizName=MM&url=/itkcdb/text/bookListIframe.jsp?bizName=MM&seojiId=kc_mm_a020&gunchaId=&NodeId=&setid=394162
2016年12月23日金曜日
2016年12月22日木曜日
星湖先生僿說卷之五 萬物門 綸組
2009年1月8日木曜日
『萬機要覽』 財用編三 海稅
『萬機要覽』 財用編三 海稅
引用元:http://www.itkc.or.kr/index.jsp?
bizName=MK&url=/MK/MK_BOOKLIST.jsp%3Fseojiid=kc_mk_e001
numlk01@作成中 ver.2008.04.21
* 19世紀初頭の文献です。
fmdoll89|04-22 23:54
乙(・_・;つ
『慶尙道地理志』における「海衣」(2/2)【参考:「海菜」の記述】
『慶尙道地理志』における「海衣」の記述、後半です。
では、どうぞ。
pp.70-72
pp.86-89
以上が初出とされる文献に挙がっている、「海衣」の記述全部です。
で、これらの記述は、当該地方の特産品としての「海衣」なのですが、どこにもそれを食べたとか、養殖したなんて記述はありません。この点の確認が第一点です。
次に確認すべきなのは、海産品のうち藿(わかめ)の記述はあるのですが、海藻、昆布、甘苔などの記述がない。他の文献にもある藻類で見つけられたのは、「海菜」の記述です。
pp.203-205
* 最終ページの一部が切れているが、文字の確認には支障がないので、そのまま。
なので、本当に「海衣」がアマノリを指す言葉かどうかは疑問の余地があります。
(1つの仮説として、幅の広い褐藻類全般を指す言葉であった可能性がある。)
numlk01@何とか確認終了 ver.2008.04.21
numlk01|04-21 19:46
まあ、地理志に海衣を食べた話や養殖した話が書いてあるとは、最初から考えてませんでしたけど。確認するまでもない話です。
『慶尙道地理志』における「海衣」(1/2)
『慶尙道地理志』における「海衣」の記述を全部掲載します。
画像が多いので、スレが2つになります。
pp.4-5
pp.40-41
pp.41-44
pp.57-60
pp.63-64
pp.64-66
引用元:http://search.i815.or.kr/ImageViewer/ImageViewer.jsp?
tid=co&id=1-L01278-000
numlk01@力業で探してみた ver.2008.04.21
numlk01|04-21 19:44
調べて分かったこと。韓国の一流の研究者が調べた文献でも、網羅的に全部挙げられていないし、挙げたものが間違っていたりした。あてにならん。
2009年1月6日火曜日
『東醫寶鑑』における「甘苔」他の記述
許浚『東醫寶鑑』 湯液篇 巻之二 菜部
引用元:http://147.46.181.118/IMAGE/kyu00512.pdf p.76-77
numlk01@整理中 ver.2008.04.20
* 『東醫寶鑑』では、”海衣”の記述がない。また、分類上、草部ではなく、菜部であることに留意する。
** 「甘苔」についての記述もあるが、「海菜」の説明で、本草からの引用として「一名紫菜」との記述がある。本草綱目の混乱を引き継いで、ここでも名前の混乱がある。
numlk01|04-20 12:42
『東醫寶鑑』の湯液篇では”海衣”の記述がない(もし見つけた方がいらっしゃったら、教えて下さい)。ここでも韓国での姑息な使い分けが見える。
→ numlk01|04-20 12:44
"あえて見渡すとは…制が'海苔'である" http://jb.breaknews.com/sub_read.html?uid=2407 「また東医宝鑑には"海苔は味は甘いながら塩辛くて性質は(埋まる)ける"として"土砂クァク欄で吐いて説沙下(サハ)や中が苦しいのを治療しながら,痔を治めて寄生虫を除去する。"で記述されている。」
numlk01|04-20 12:48
もう一つの注目点。某サイトにて見えないはずの史料の見方。裏技のヒント。
dameman_kuga|04-20 15:12
(´_`)ノ∩ 乙です。じっくり読ませてもらいます。
「海衣裹」の記述
『東國歳時記』 p.11 「海衣裹」の記述がある。
畜匏瓜■蕈諸乾物及大豆黄卷蔓菁蘿■謂之陳菜必於是日作菜食之凡瓜顱茄皮蔓菁葉皆不棄■乾亦爲烹食謂之不病暑以菜葉海衣裹飯啗之謂之福裹按荊楚歳時記人日採七種菜作羮今俗移於上元而抑亦衛風御冬之旨畜也
『洌陽歲時記』 p.7 「海衣」を用いて飯を包む料理があります。
『京都雜志』 p.19 該当するものがない。
numlk01@確認中 ver.2008.04.20
* 某HPでの"文字起こし(仮)"には誤植が多い。注意されたし。
また、私の起こした文も、漢字表記に問題があるので、ぜひ原文画像で確認して下さい。
さらに、念のため。「裹(か)」とは、包むという意味です。「裏(り)」じゃないですから。
** 19世紀中葉に成立したとされる『東國歳時記』。その30年前に成立し、ソウルの風俗を描いた『洌陽歲時記』にも記述がある。しかしながら、『東國歳時記』の元になったとされる『京都雜志』には、その記述がない。この辺りがヒントになりそうである。
numlk01|04-20 08:58
引用元は”「煖爐會」の記述(東國歳時記、洌陽歲時記、京都雜志)http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=103876”と同じ。省略。
fmdoll89|04-20 10:42
乙( ゚∀゚)o彡゜
dameman_kuga|04-20 15:11
(´_`)ノ∩ 乙です
numlk01|04-20 15:30
「裏(り)」との表記間違い。某HP(確認していなかった時点で、私も間違って表記したものがある)および8inni8(当然、気付いていない)、 http://manadeva.tistory.com/3620、http://uriculture.com /s_menu.html?menu_mcat=100247&menu_cat=100001&img_num=sub1、及び、これらを引用した韓国のブログ。
→ numlk01|04-20 21:00
正しい表記の例:福裹 http://krdic.daum.net/dickr/contents.do?query1=A017411300
numlk01|04-20 15:52
各歳時記の成立年代については、割と検証が甘いようだが、一応、韓国での定説(同時に日本でも通説)を前提に考える。そうすると、『京都雜志』の1770年代にはなく、『東國歳時記』の1849年には名前が確認できる風俗だったということです。そして、『洌陽歲時記』の1819年には、料理自体が存在する。以上から、19世紀前半にソウルで始まったもので、19世紀中葉に歳時風俗として確立したと考えてよいと思われる。なお、洪錫謨は、行事自体の起源は、梁時代の『荊楚歳時記』だと考えているが、テラ中国wwwwwとか言わないように。
kobaya4|04-20 22:30
少し解りづらいね。蛇足ながら、「福包み」は 19世紀中盤の東国歳時記に出る. 福包みは旧歴十月15日に山菜や白菜葉,あるいは海衣にご飯を包んで食べることを言う.福包みはいくつかを作って器にノ-ゾックサッドッが高く積んで城主様にあげた後に食べれば福が来ると伝える. http://coldstar.egloos.com/3515671(2007/12/04)
→ numlk01|04-20 22:54
その人のページは肉焼きの時も参考になった。でも、それらの韓国での”常識”を検証するのが一連の投稿の目的だったりするよ。で、料理自体は『洌陽歲時記』の段階で出来ているね。その点も、今回の確認事項。
kobaya4|04-20 23:07
質問だけど、問題にしている点はなんですか?
→ numlk01|04-20 23:24
このスレでの問題点は、朝鮮における”海衣裹”の成立時期です。韓国での”のり巻き”の起源と主張されているものです。
→ numlk01|04-20 23:39
そして、「上元での菜食の歳時風俗が新羅時代からあったから、昔からのり巻きを食べていたんだ」という主張の検証でもあります。
numlk01|04-20 23:27
で、「海苔」「海苔食」「海苔養殖」「板海苔」「のり巻き」について、それぞれ整理しつつ、調べています。全体像は、「[資料] 朝鮮半島における海苔(チェックリスト)http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory& nid=1943528」をご覧下さい。随時更新しています。